ヒーラーなった成りゆき

ヒーラー(治療家)になった成り行き

何故ヒーラーになったかとよく聞かれますが、その理由はいたって簡単でした。ヒーラーになったら病気にならないで済むのではないか、という勘違いから始まりました。

生まれて数カ月して、たまたま神奈川県で行われた赤ちゃんコンクールに優勝して、その賞品が森永のヒ素入り粉ミルクでした。森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者で、生死をさまよい、免疫力が低下していたためか、肺炎や、ほとんどの子供がかかる伝染病はもちろん、当時の衛生環境が悪かったのかチフスにもかかりました。病気であったことで、いつも一人でした。この幼少の時期は肉体的にとても苦しく耐え難かったので、幽体離脱を毎晩のように繰り返していました。その頃は他の人が聞こえない、見えないことが自分だけには分かるというような、不思議な体験をしていました。例えば、このおじさんもうじき死ぬんだ、そんなことを感じていました。また38歳で自分は死ぬ、ということもずーっと当たり前のように知っていました。
小学校に入学してからは病気もあまりしなくなり、普通の生活ができたこともあってか、不思議なことはすっかり起こらなくなりました。本人も、そのことをけろっと忘れていました。

小さかった時の不思議体験が、38歳を境にだんだん蘇えってきました。まさに人生のターニングポイントでした。その歳になった時、突然、激痛が腹部全体に走り、一ヶ月ほどホームドクターにかかったのです。ある朝あまりの激痛で動けなくなり、入院して翌日に手術を受けることになりました。
手術直前に麻酔薬の注射をされた時、忘れていたことが蘇えってきました。“そう、38歳で死ぬ“とは、あーこのことか!まー人生ってこんな風に幕を閉じるんだ。一生懸命に子育て、仕事と頑張っていたけれど。この手をぱっと開くように、人生ってこんなにあっけなく終わるんだと思いながら、この世とのお別れをこころのなかでしました。

意識が戻り始めてきて、あーここが天国?それとも極楽?なんか白っぽくて良く見えないなー、そんなことを考えながら、でもおかしいなー、なんでこんなにお腹が痛いのだろう? 誰かに切られたみたい、死んだのだから、魂は体を離れているはずなのに、痛いというのはおかしい―、本当に、自分にとっては永遠ともいえる時間がたっいって……。だんだんと自分が病院にいること、手術したことを思い出してきました。なーんだ、まだ死んでないんだ。なぜ生きているだろうか? 

これは神の采配だろうか!この時になぜあのように腹を立てたのか分からないのですが、神様に文句を言いました。神さんがさー、私を後50年生かしておきたいって考えなおしたんだよね。だったらもうこの際なんでも言うこと聞くので、手足となって働くから、何をすればいいか教えてください!でも答えはありませんでした。不思議なのは自分は死んだら灰になって一巻の終わりって考えていたはずなのに、魂とか神とかという考えがどうして頭に浮かんだのだろうか?

退院するときに医者にこれから一生の間に何十回と手術をするようになるけど、まー死ぬ病気じゃないから我慢しなさい。とのお別れのお言葉を頂きました。この言葉は私にとってはすごくショックでした。現代医学を100%信じていたのに裏切られた気がしました。医者が治す方法を知らないならば、自分で治療法を探すしかない。そう思い、本当に色々な本を片っ端から読んでいきました。ひとつには自分の体を健康にするために、また生きている意味への答えを自分なりに出したいためです。そして、自分って誰なんだろう? 何なのだろうか? ということも知りたかったのです。

いろいろな食事法や、代替医療も試してみました。この時期に、本当にたくさんの病気をしました。突然3か月ほど歩けなくなったり、自転車の事故で第3脛骨から第5脛骨がずれて右手が使えなくなったり、体中にほぼ一年ほど、ものすごくかゆい湿疹ができたり、下肢部の皮膚が10cm四方ぐらいでしたが2年ほど再生できなくなったり、突然髪の毛が2/3抜け落ちたり。そのたびに医者にかかり、大学病院に通院するのですが、治療法が見つからないので治りません。薬もけっこういろいろ頂きましたが、健康を取り戻すという結果にはなりませんでした。

試行錯誤を繰り返しながら、自分の体を健康にしたいという思いで色々なセミナーで勉強をしました。ヒーラーになったら健康を取り戻せ、2度と病気にならないのではないかと思い込み、ヒーラー養成学校に入りほぼ4年かかってスイスヒーラー公認資格を取得しました。でも、その考えが甘かったなーと反省しています。ヒーラーさんて結構病気持ちなんだということに気づきました。この時期いくつかの代替医療関係の学校に通い、資格を取得したりもしました。ヒーリング学校の先生に神様は存在するということを教えていただき、友達には祈りには力がある!と教えてもらいました。祈るということも最初は全くしっくりいきませんでしたが、今は祈るということが生活の一部になっています。

同時期に家でやり始めたことは瞑想と気功です。どちらも本を買って1ページ1ページと一人で学んでいきました。40歳ごろから気功で治療ができるようになりました。ヒーリング学校に行き始めてからは、自分なりのヒーリングのやり方を試行錯誤しながらマスターしていきました。55歳を過ぎるころからやっと体も元気を取り戻し、何とか普通の生活ができるようになったのです。健康を取り戻すことや自分探し、生きる意味の答えを求めて無我夢中の15年の歳月でした。

宇宙即我という状態を瞑想中に体験するようになると、自分で自分の脳波を意識的に停止させることができるようになりました。そういう状態では、天から無数の光が頭をめがけて飛んできます。この光はインフォメーションです。いろいろなインフォメーションが含まれています。そのなかから、生きる力と勇気と希望が持てるインフォメーションのみをふるいにかけて取り出します。 
そのインフォーメーションを、目の前の人に言葉に翻訳して伝えるということができるようになりました。天からの声を伝えるという感じでしょうか。また霊界の魂が、こっちの世界にいる大切な人にメッセージを伝えてほしいとやってきます。そこで、こちらの世界とあちらの世界の橋渡しみたいなこともやり始めました。

残念ながら自分のことや子供たちのことに関しては、どうしても欲やエゴが入ってしまい、中立的にはなれず、インフォメーションをうまく降ろすことができないようです。自分のことに関しては、瞑想と寝る前にあるテクニックを使うという方法でインフォメーションを頂くことができます。また直接天より声で届くということも何回かありました。

30歳の時に起業してほぼ30年間やった海外留学センターの会社を、2012年にドイツの同業者に売りました。この会社を経営して、本当に経営者としての厳しさや姿勢を学びました。というのは毎日大きい小さい決断の連続で、これを間違ってしまうと損失をだすし、また経営困難のリスクも抱えているわけです。それでも決断しないと何一つ動きません。決断ができない時は、天からインフォメーションを頂くという方法を使って助けてもらいました。精神世界のノウハウを実際にビジネスの世界に役立てていました。お蔭さまでこの業界のトレンドを先取りするトレンドセッターとなり、またハーバード大学のケーススタディにもなるね、といううれしい言葉も頂きました。

たった一つの机とタイプライターで始めた会社です。自分の子供のような気がして一心同体、私も会社によって成長でき、会社もどんどん大きくなって15人のスタッフを雇えるところまで来ました。2011年の夏、天より声が届きまして、『もうすぐこちらに呼び戻す!』と言われました。何回か臨死体験をしていますので、今回はちゃんと予告してくれて何と親切なんだろうと思いました。2006年に離婚して娘と息子と3人で暮らしていますが、二人とも会社を引き継ぐという気持ちがないので、ベストな方法は会社を売ることです。すると3か月後に会社を買いたいという同業者が現れました。それまでに2回ほど会社売買の話がきましたが、一心同体でやってきた会社なので何とも手放せませんでした。でも今回は自分が死ぬという切羽詰まった状況になり、きっと神さんがこの同業者を連れてきたんだと思い、すぐ売買契約を結んで会社を売りました。

その数日後、また天より声が届きました。『ようこそ、5次元の世界へ!!!』、あーそなんだ。無理やり会社を手放す境地に立たせなければ、手放せなかったことを見越しての神様のプランなんだ!とやっと分かりました。それでも、これから私は何をすべきなのかという問いには一切答えてはくれませんでした。

ちょっと振り返ってみると、自分の目的と夢がほぼ80%ぐらい実現した人生でもありました。スイスに24歳の時に来て山あり谷あり、本当にいろいろありました。終わりのない、障害物競走のような自分の人生でした。でも還暦を迎えるころから、少しは平たんになってきました。
さてこれからどうやって生きていこうか?自分にとって、輝いて生きる方法はどういう生き方なのか。ずーっと自分に問いかけました。そして、何かのヴィジョンに向かって努力している時、自分にチャレンジをしている時が一番好きなこころの状態であることが分かりました。そこで、これからの人生は人のため、世のため、自分のため、80歳ぐらいまでは元気でおおいにチャレンジをしていこうと決めました。

その為には動ける体、健康でないと何もできませんので、体作りを始めないといけないと思ったのです。40歳ごろから毎年1kgずつ太っていった結果、肥満体になってしまいました。それで3年かけて20kg痩せました。何十年もちゃんとした運動もしていません。それで思い立ったのが、ずーっとやりたかった武道をやることです。脛骨がずれていることから、投げ技のない空手を選んで自分への還暦のプレゼントとして始めました。そそっかしいところもありまして、空手を始めてから投げ技があることを知りました。スイス空手連盟の合同練習なんかに参加すると、子供の年齢を通り越して孫の年齢の子たちとの練習です。いつも一番年上です。ここではアルテダーメ、日本語でおばあさん、と呼ばれています。初めの2年間はひざが変形してしまったことや関節炎なんかもありまして、運動靴を履いての練習でした。空手のお蔭で膝の調子も良くなり、体調も良くなってきています。
         

                      これからの夢、ヴィジョンのお話

ヒーリングは40歳のころからずーっとボランティアでやっていました。今度それを本業にしようと、ヒーリング学校を2013年に始めました。コスモアカデミー、宇宙学校という名前です。ずーっと自分が体験して、自分の体で実験して良いと思ったこと、クライアントさんの体験などの集大成を伝えています。色々な角度から健康になること、体、心、魂のバランスを整え、病の気を治していくホリスティックヒーリングです。学校の形態でもセミナーの形態でもいいと思っていますが世界に広げていくことが夢です。自分としては言葉ができるということで、英語圏、ドイツ語圏、日本語圏を中心にと考えています。

                         【一燈照隅 万燈照国】

【いっとうしょうぐう、ばんとうしょうこく】 この言葉のようにやっていきたいと思っています。癒しや、ヒーリングの活動を通して人々のこころに、ひとつの愛と希望の明かりをつける。その人が周りの人にさらに明かりをつけていく。こうして愛と希望の明かりが世界に広がると、この地球はちょっとは住みやすい星になるのではないでしょうか。地球が天国になるように、小さなお手伝いができたらいいなーと大きな夢を抱いています。

この世は自分が創造した仮想世界です。
どうせなら、
あちらの世界に帰るまでに
大きいことをやってみようという大志を抱いても 
いいのではないかと。

経歴
言葉:日本語、ドイツ語、英語、フランス語
資格と経験:スイス公認ヒーラー(治療家)アトラスロギー矯正【第一脛骨の矯正資格】前世治療、オーラ治療、催眠法、整体、腰痛治療、食事法、真我との出会い、手相、潜在意識のプログラミング、真気道体操、ヘルスカウンセラー、内観、ファイヤーウオーキングなど。

治療
ヒーラーのところに来る人は、すでに色々な現代医療から代替医療までを試しています。そして10年、20年、または子供のころから問題を長い間抱えています。それらのクライアントの方がたと私とが、一緒に作ってきた実践的な治療法です。それをホリスティックヒーリングと名づけました。
ホリスティックというのは身体だけでなく、体、心、魂まで範囲を広げます。時空間を超え、今世だけではなく前世からの因縁も霊視します。さらにその人が生まれてきて今日までの家族、兄弟、夫婦、子供、孫を含めた人間関係と環境、その家系が代々引き継いでいる特異性をも考慮し、また会社や友達の人間関係、思考方法、潜在意識に間違ってインプットされた情報、感情の持ち方、食事やサプリの取り方、運動や体の使い方なども考慮に入れます。
今までのクラアントさんは約1000人ぐらいです。病気は、さまざまな癌を筆頭に頭痛、アレルギー、花粉症、腰痛、リュウマチ、糖尿病、鬱、不眠症、肥満、むち打ち症、水毒症、パーキンソン病、冷え性、恐怖症、多発性硬化症、自殺願望、流産、死産、死別、歯周病、虫歯など。また、人間関係の問題、心の悩み、前世がらみの問題、子育て、マーケティング、収支決算、税制、訴訟や離婚問題、会社経営上の問題などいろいろです。それらの病気や問題を解決するお手伝いを続けてきました。

会社経営
海外留学センターの会社をほぼ30年経営しました。2006年と2009年に約5000ほどある海外留学センターヨーロッパ圏において、優良企業として3本の指に入りました。起業時の資本は0でした。それが年商日本円にして10億円の会社に成長し、スタッフは15人、スイスの海外留学センターとしては中堅どころまで成長しました。アントニーロビンのビジネスマスターコースに2011年に参加した時、ここで、世界的に見て30年会社を経営できる人は100万人に5,6人、また売り上げで10億ドルに達せる人はやはり世界的に見て、100万人に5,6人といわれました。

プライベート
こちらは全くの劣等生です。毎日ブスとバカと母親から何回も言われて育った私は、何事にも自信がなく、自己評価が低く、また中学校一年の担任の先生にIQが低いと言われて、さらに自己評価は地下に潜ってしまいました。ブスのほうは母親似だからしょうがない!スイスに来て比較的早い時期に『モスクワわが愛』の主演女優の栗原小巻さんに似ていると言われ、ここにいれば美的感覚が違うからブスから脱出できる。もう絶対に帰らない!と決心しました。バカのほうは還暦近くになってある米国のビジネス系の500問テストをして、結構いい成績でした。これでやっと、母親の呪詛から脱出することができました。ここまでくるのに何と60年もかかりました。
2006年に5年の裁判闘争を経て、28年の結婚に終止符を打ちました。子供は2人で、娘が31歳、息子が29歳です。30歳ごろから、子育て、家事、仕事とフル回転、自分の時間は皆無で一日14時間5分刻みのスケジュールをこなす生活をしていました。色々な問題が一難去ってまた一難、自分の人生は障害物競走なんだなと改めて思うのです。

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